日本を代表するグラフィックデザイナーで「視覚の魔術師」と呼ばれた福田繁雄(ふくだ・しげお)さんが11日午後10時半、くも膜下出血のため死去した。76歳。葬儀は近親者で済ませた。
東京生まれ。1956年、東京芸大図案科を卒業し、味の素勤務を経て58年に独立した。田中一光さんらと共に開いたグラフィックデザイン展「ペルソナ」で毎日産業デザイン賞を受賞した。
70年の大阪万博では、公式ポスターや迷子標識などの絵文字(ピクトグラム)を制作。瞬時に情報を伝えるシンプルな造形にユーモアや風刺をにじませた作品は、国内外で脚光を浴びた。
72年、ワルシャワ国際ポスタービエンナーレで金賞。75年、ポーランドが開いた戦勝30周年記念国際ポスターコンクールで、砲弾の向きを逆さに描いた「VICTORY」が最高賞に輝いた。
視覚のトリックを生かしただまし絵的な作風でも知られ、85年のつくば科学博「UCC館」などの展示を担当。彫刻や環境デザインにも活動の幅を広げた。
85年度の毎日芸術賞を受賞。87年、ニューヨーク・アート・ディレクターズ・クラブの「名声の殿堂賞」を日本人として初めて受賞した。00年から日本グラフィックデザイナー協会会長を務めていた。
多くの海外の大学の客員教授なども務め、台湾の東方技術学院には07年、「福田繁雄設計芸術館」がオープンした。長女の美蘭さんは画家として活躍している。
◇アイデアマンだった
東京芸大の同級生でグラフィックデザイナーの仲條正義さんの話 最近も海外を飛び回っていた。1週間ほど前に会い、「年なんだから、いいかげんにした方がいいよ」と言ったばかり。ショックです。昔からアイデアマンで、言葉が通じなくても理解できるのがデザインだと主張し、その通りに実践した。日本のグラフィックデザインのレベルの高さを海外に伝えた功績も大きい。
福田繁雄
1932-2009
国际著名设计大师
国际平面设计师联盟AGI会员
日本图形创造协会主席
国际图形设计协会会员
设计艺术研究中心名誉主任
1932 生于东京
1951 毕业于岩手县立福冈高等学校
1956 年毕业于东京国家艺术大学
1967 IBM画廊个展(纽约)
1982年应耶鲁大学之邀担任客座讲师
1997 日本通产省设计功劳奖--紫绶勋章
1998 东京艺术大学美术馆评委
2006第7届金蜜蜂国际平面设计双年展国际评委
福田繁雄教授是世界三大平面设计师之一,他的设计理念及设计作品享誉世界,对二十世纪后半叶的设计界产生了深远的影响,在现行的每一平面 设计教材中几乎都能发现他的作品。福田繁雄的设计作品在美国、欧洲及日本等地广为展出,荣获多种褒奖,其中包括华沙国际招贴画双年展金奖、 第九届日本艺术节奖、21届奥运会国际纪念币设计竞赛一等奖、美国国际招贴画展览奖等。多次获国际性大奖,包括:
1972年 华沙国际海报展金奖;
1976 年 教育部新人艺术促进奖;
1985年 莫斯科国际海报展金奖;
1995 年联合国教科文组织的海报展大奖;
1995年赫尔辛基国际海报展大奖等。
2005年台湾国际海报设计大奖
他创作的大量招贴画使他饮誉全世界,成了国际上最引人注目、最具有个性特征的平面设计家。福田的每一种新观念都是他不断探索,尝试不同可能性的方法的结晶。他总是弃旧图新,并系统地将各种创意、革新加以融会贯通。每一批作品都反映出他主观想象力的飞跃以及他控制和营造作品的匠心。他在看似荒谬的视觉形象中透射出一种理性的秩序感和连续性。福田繁雄 既深谙日本传统,又掌握现代感知心理学。 他的作品紧扣主题、富于幻想、令人着迷,同时又极其简洁,具有一种嬉戏般的幽默感,并善于用视幻觉来创造一种怪异的情趣。由于他在设计理念及实践上的卓越成就,福田繁雄教授被西方设计界誉为“平面设计教父”。
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